本社のお花見会
佐世保の本社だけで
150人以上の従業員が在籍していた時期も
戦中、戦後にかけて佐世保市外に設立された関係会社の一つ、福岡保健清掃の株券
進水式の後、市長、助役や保健所長と会社幹部で佐世保湾内をクルーズしながらの海上祝賀会
大正15年設立後、昭和14年5月に株式会社に改組した際に発行した株券
当時貴重で高価なトラック、船舶等の機材を多数保有する日本有数の清掃会社に発展
狭くて急な坂が多い佐世保の地形に合わせて特注の小型機械車
大正中期、海軍佐世保鎮守府と海軍工廠などの関連施設の建物管理や清掃、衛生管理などの業務を安定・組織的に運営する能力を持つ信頼できる委託業者の必要性を痛感していた鎮守府上層部から、佐世保出身の海軍将校であった当社創業者に対し、退役後、業者を設立し、運営管理するよう強い要請が再三なされた。
それを受けて、海軍からの土地、建物の貸与などにより、大正15年4月、当社の前身となる組織が設立され、創業となった。
その後、海軍、佐世保市から、佐世保の中心市街地についても、鎮守府施設と同様レベルの清掃業務提供の要請があり、一般の業者を吸収合併するなどして、昭和14年5月、市内一円の清掃業務を市から委託された佐世保清掃株式会社となる。
こうして、戦前の段階で日本有数の規模にまで発展し、九州唯一の民間清掃会社であった当社には、戦中、戦後の混乱期、業務運営能力が不足していた福岡市、長崎市、大村市などの県内外の自治体からの進出要請が相次ぎ、別会社形式で進出したが、戦後の混乱の落ち着きにつれ、一部を除き、段階的に他市町からは撤退した。
新造のし尿海洋投棄船 自社所有分と佐世保市委託分を多数隻管理・運行